わろてんか|電髪(パーマ機)は実話!キースの儲け話

 

朝ドラ『わろてんか』では、北村屋の啄子の亡き夫が残した

多額の借金が発覚します。

 

さらには番頭の又八がライバルの天野屋に移籍すると、

北村屋の何軒もの得意先が天野屋に鞍替えをします。

 

天野屋は一等米に安い米をブレンドして安売りする戦略に出ますが、

老舗のプライドを持つ啄子はそれを許しません。

 

そのため北村屋の経営は急速に悪化して、従業員も次々と

辞めていきます。

 

そして跡取り息子の藤吉が捲土重来の一手として、

キースが持ってくる電髪(パーマ機)のもうけ話に

飛びつきます。

 

電髪とは電気式髪結い機の略称です。

 

何やら危ない予感もしますが、実はこの電髪のエピソードは

実話が下敷きになっています。

 

コンテンツ

電髪(パーマ機)は実話!キースの儲け話

 

スポンサードリンク

 

ドラマの電髪のエピソードですが、キースのモデルとなっている

横山エンタツが手を出したビジネスが下敷きになっています。

 

(横山エンタツ)

 

後にエンタツ・アチャコのコンビで一世を風靡するエンタツですが、

売れっ子となるのは吉本興業部入りする昭和5年(1930年)以降です。

 

その時には既に34歳になっており、かなりの遅咲きでした。

 

またエンタツの実家は代々医者の家系で、本人も当時の芸人としては

異例の旧制中学校卒(現在の高卒)で、関西大学の夜学にも通学した

との見解もあります。

 

このような「インテリ芸人」だったエンタツですが、

芸人としては下積みが長く、大正8年(1919年)に

花菱アチャコとおこなった「しゃべくり漫才」も新しすぎて

世間に受け入れられませんでした。

 

そのため経済的にも苦しかったらしく、たびたび他のビジネスにも

手を出してます。

 

スポンサードリンク

 

電髪の話は昭和2年(1927年)ごろのもので、当時は芸人を辞めていた

エンタツがパーマ機のセールスで一山当てようとしました。

 

パーマ機は明治39年(1906年)に開発されて、1920年代には

欧米で普及していったことから、時代を先取りしたビジネス

ではありました。

 

(当時のパーマ機)

 

しかし詳細は不明ですが、結果的にはエンタツのパーマ機は

売れずに、このビジネスはとん挫してしまっています。

 

さらにはアメリカの百貨店で見た「店で渡される買い物袋」でも

儲けようとして、職人に製作させて百貨店に売り込みますが、

「日本には風呂敷がある」という理由で断られて失敗しています。

 

どうやら頭脳明晰なエンタツは、山っ気も多かったようですね。

 

しかし昭和5年(1930年)に、ウケないながらも斬新な漫才をするとの

噂を聞きつけた吉本せいの弟の正之助(一部風太のモデル)に

スカウトされることになります。

 

彼の才能を見抜いた正之助は既に売れっ子だった花菱アチャコと

千歳屋今男のコンビを解散させてまで、エンタツとアチャコの

コンビを結成させます。

 

その後にエンタツ・アチャコのコンビは一世を風靡するのですが、

仮にエンタツが電髪のビジネスで成功していたら、この戦前の吉本を

代表するこのコンビもなかったかもしれませんね♪

 

ドラマでは電髪のビジネスの失敗によって吉本家のモデルの北村屋が

廃業に追い込まれますが、前記のエンタツのパーマ機のビジネスには

吉本せい(てん)や泰三(藤吉)らは一切関わっていません。

 

このあたりはドラマオリジナルのストーリーとなりますが、

注目ですね!

 

送料無料の情報が満載!ネットで買うなら楽天市場

 

スポンサードリンク

 

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ